MARY HOPKIN / EXPO '70 LIVE IN JAPAN 【1CD】
MARY HOPKIN / EXPO '70 LIVE IN JAPAN 【1CD】
販売価格: 3,300円(税込)
在庫あり
1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪は吹田市で日本で初めてのみならずアジア初の国際博覧会が開催された。「人類の進歩と調和」をテーマにそれまで類を見ない大規模な博覧会となり、 敗戦国から高度経済成長を経て復興した戦後日本の象徴的なイベントであった。団塊の世代は万博の記憶とその時の自分をリンクして想い出す事が出来るのではないだろうか。その万博に出演するため、メリーホプキンが来日したのである。
メリーホプキンはビートルズが設立したアップル・レコードの最初の契約者であった。そのためポールは曲提供はもちろん、プロデュースからプロモーションまで積極的に力を注いでいた。おかげで先行シングル「悲しき天使」が英米でヒットし、ファースト・アルバム『ポストカード』も新人とは思えぬ豪華なゲストの作品が並び、メリーホプキンは一躍スターとなった。しかしポールとメリーの蜜月は1970年に入ると終焉を迎えてしまう。「悲しき天使」「グッドバイ」に続く第三弾シングルとして、ポールはドリス・デイが歌っていた「ケセラセラ」を用意する。しかも川内康範だったら激怒するであろう、オリジナルにはない新たなリフレインをポールが独自に加え、レコーディングが行なわれたのである。この仕上がりにメリーホプキンが難色を示し、結局第三弾シングルは別のプロデューサーによる別の曲に変更になってしまった。これ以後、ポールはメリーホプキンに興味を失ってしまう。メリーホプキンが来日したのは、このような時期であった。
1970年7月1日メリーホプキンは予定より4時間遅れで羽田空港に到着した。大勢のファンが待ち受ける中で空港に姿を現したメリーホプキンは、空港内で簡易的な記者会見も行なっている。東京で1泊した後、翌2日に大阪に移動し、改めて記者会見を行なった。そして同日には会場となる万博ホールで早速リハーサルを行なっている。7月3日には京都観光で終日休暇を楽しんだ後、7月4日から7日までの4日間のコンサートを行なったのである。当時のプログラムにはこの4日間で7回公演が行なわれるとの記載がある。1日2回公演で1回だけの日もあったということだろうが、それ以上の記録が残っていないため詳細は不明である。
そしてファンにとっては幸運な事に、メリーホプキンの大阪万博におけるライブは、メリーの離日直後の7月12日に早くもテレビ放送されている。どの日のどの公演が撮影されたのか、これもまた不明であるが、途中にインタビューを挟みこの時の貴重な記録となっている。そして家庭用ビデオが登場以前の1970年という事もあり、現在に至るまでこの時に放送された映像というのはテレビ局にも残されていないようだ。当時のファンがテレビ放送時に音だけを録音した本作が、現在聴くことの出来る唯一のメリーホプキンの大阪万博のライブということになる。
放送では1曲目に「青春の光と影」が演奏されたように構成されているが、実際は「愛の喜び」がオープニング・ナンバーであったようだ。なんと贅沢にも実際の生オーケストラがバックを務めるという豪華なステージで、これはメリーも初めての経験ではなかっただろうか。この「青春の光と影」は同名映画のタイトルとなりヒットした曲であるが、メリー自身はライブのみで正式にレコーディングは行なっていない。2曲目「しあわせの扉」もオーケストラをバックに軽快に歌われる。ファースト・アルバム『ポストカード』からは唯一「パピー・ソング」が披露されたのみである。「ドナドナ」は子牛が売られて行くよ〜の原曲である。ここからカバー曲が続く。ビートルズの曲は「With A Little Help From My Friends」「Yesterday」「In My Life」と3曲も採用している。同じくアップル・アーティストであったギャラガー&ライルという男性デュオもメリーの来日公演に同行しており、ステージ上で紹介されている。そして当時も今も、最も知られているであろう「グッドバイ」と「悲しき天使」でコンサートは終了する。アンコールはなかったようだ。
なお、ボーナストラックとして、メリーホプキンのライブ音源を後半に収録している。デビューしたての1969年のものから1983年までのテレビ出演時のライブ音源である。こうしてみると、限られた時間で1、2曲披露するとなると、やはりどうしても「悲しき天使」を求められてしまうのだろうかと思ってしまう。この曲はもはやメリーホプキンにとって「愛は勝つ」や「木綿のハンカチーフ」のようなものなのだろう。時代の変遷を経て同じ曲でもアレンジや歌いまわしが異なるので、その相違を楽しむのも一興であろう。特に1983年33歳となったメリーの「悲しき天使」は円熟した素晴らしい感動的な歌唱なので是非聴いてみて欲しい。
1970年大阪万博のため来日したメリーホプキンの来日公演をサウンドボードで収録。記録が残されていないため、実際のコンサートがどれくらいの長さでどのような曲をどのような順に演奏したのか、詳細は現在も不明である。本作に収録がその時のライブで残されている全てである。昭和45年、高度成長で日本がイケイケの時代に、オリンピックと並んで戦後昭和史最大の国家プロジェクトである万博のステージ。記録としても貴重なものであるといえる。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。
EXPO HALL OSAKA JAPAN July 1970
01. Introduction
02. Both Sides Now
03. Knock Knock Who's There
04. You're Everything To Me
05. The Puppy Sung
06. Dona Dona
07. With A Little Help From My Friends
08. The House Of The Rising Sun
09. Interview #1
10. Yesterday
11. In My Life
12. Light In The City
13. Interview #2
14. Plaisir D'Amour
15. Temma Harbour
16. Goodbye
17. Those Were The Days
18. Outroduction
EXTRA LIVE PERFORMANCES 1969 - 1983
19. Knock Knock Who's There Eurovision 1970
20. Goodbye ABC Blackpool 1970
21. Those Were The Days Tom Jones TV Show 1969
22. Those Were The Days Vivid Live 1969
23. Those Were The Days French TV 1969
24. In My Life US TV 1969
25. Jefferson 1971
26. Those Were The Days 1983
メリーホプキンはビートルズが設立したアップル・レコードの最初の契約者であった。そのためポールは曲提供はもちろん、プロデュースからプロモーションまで積極的に力を注いでいた。おかげで先行シングル「悲しき天使」が英米でヒットし、ファースト・アルバム『ポストカード』も新人とは思えぬ豪華なゲストの作品が並び、メリーホプキンは一躍スターとなった。しかしポールとメリーの蜜月は1970年に入ると終焉を迎えてしまう。「悲しき天使」「グッドバイ」に続く第三弾シングルとして、ポールはドリス・デイが歌っていた「ケセラセラ」を用意する。しかも川内康範だったら激怒するであろう、オリジナルにはない新たなリフレインをポールが独自に加え、レコーディングが行なわれたのである。この仕上がりにメリーホプキンが難色を示し、結局第三弾シングルは別のプロデューサーによる別の曲に変更になってしまった。これ以後、ポールはメリーホプキンに興味を失ってしまう。メリーホプキンが来日したのは、このような時期であった。
1970年7月1日メリーホプキンは予定より4時間遅れで羽田空港に到着した。大勢のファンが待ち受ける中で空港に姿を現したメリーホプキンは、空港内で簡易的な記者会見も行なっている。東京で1泊した後、翌2日に大阪に移動し、改めて記者会見を行なった。そして同日には会場となる万博ホールで早速リハーサルを行なっている。7月3日には京都観光で終日休暇を楽しんだ後、7月4日から7日までの4日間のコンサートを行なったのである。当時のプログラムにはこの4日間で7回公演が行なわれるとの記載がある。1日2回公演で1回だけの日もあったということだろうが、それ以上の記録が残っていないため詳細は不明である。
そしてファンにとっては幸運な事に、メリーホプキンの大阪万博におけるライブは、メリーの離日直後の7月12日に早くもテレビ放送されている。どの日のどの公演が撮影されたのか、これもまた不明であるが、途中にインタビューを挟みこの時の貴重な記録となっている。そして家庭用ビデオが登場以前の1970年という事もあり、現在に至るまでこの時に放送された映像というのはテレビ局にも残されていないようだ。当時のファンがテレビ放送時に音だけを録音した本作が、現在聴くことの出来る唯一のメリーホプキンの大阪万博のライブということになる。
放送では1曲目に「青春の光と影」が演奏されたように構成されているが、実際は「愛の喜び」がオープニング・ナンバーであったようだ。なんと贅沢にも実際の生オーケストラがバックを務めるという豪華なステージで、これはメリーも初めての経験ではなかっただろうか。この「青春の光と影」は同名映画のタイトルとなりヒットした曲であるが、メリー自身はライブのみで正式にレコーディングは行なっていない。2曲目「しあわせの扉」もオーケストラをバックに軽快に歌われる。ファースト・アルバム『ポストカード』からは唯一「パピー・ソング」が披露されたのみである。「ドナドナ」は子牛が売られて行くよ〜の原曲である。ここからカバー曲が続く。ビートルズの曲は「With A Little Help From My Friends」「Yesterday」「In My Life」と3曲も採用している。同じくアップル・アーティストであったギャラガー&ライルという男性デュオもメリーの来日公演に同行しており、ステージ上で紹介されている。そして当時も今も、最も知られているであろう「グッドバイ」と「悲しき天使」でコンサートは終了する。アンコールはなかったようだ。
なお、ボーナストラックとして、メリーホプキンのライブ音源を後半に収録している。デビューしたての1969年のものから1983年までのテレビ出演時のライブ音源である。こうしてみると、限られた時間で1、2曲披露するとなると、やはりどうしても「悲しき天使」を求められてしまうのだろうかと思ってしまう。この曲はもはやメリーホプキンにとって「愛は勝つ」や「木綿のハンカチーフ」のようなものなのだろう。時代の変遷を経て同じ曲でもアレンジや歌いまわしが異なるので、その相違を楽しむのも一興であろう。特に1983年33歳となったメリーの「悲しき天使」は円熟した素晴らしい感動的な歌唱なので是非聴いてみて欲しい。
1970年大阪万博のため来日したメリーホプキンの来日公演をサウンドボードで収録。記録が残されていないため、実際のコンサートがどれくらいの長さでどのような曲をどのような順に演奏したのか、詳細は現在も不明である。本作に収録がその時のライブで残されている全てである。昭和45年、高度成長で日本がイケイケの時代に、オリンピックと並んで戦後昭和史最大の国家プロジェクトである万博のステージ。記録としても貴重なものであるといえる。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。
EXPO HALL OSAKA JAPAN July 1970
01. Introduction
02. Both Sides Now
03. Knock Knock Who's There
04. You're Everything To Me
05. The Puppy Sung
06. Dona Dona
07. With A Little Help From My Friends
08. The House Of The Rising Sun
09. Interview #1
10. Yesterday
11. In My Life
12. Light In The City
13. Interview #2
14. Plaisir D'Amour
15. Temma Harbour
16. Goodbye
17. Those Were The Days
18. Outroduction
EXTRA LIVE PERFORMANCES 1969 - 1983
19. Knock Knock Who's There Eurovision 1970
20. Goodbye ABC Blackpool 1970
21. Those Were The Days Tom Jones TV Show 1969
22. Those Were The Days Vivid Live 1969
23. Those Were The Days French TV 1969
24. In My Life US TV 1969
25. Jefferson 1971
26. Those Were The Days 1983
MARY HOPKIN / EXPO '70 LIVE IN JAPAN 【1CD】
販売価格: 3,300円(税込)
在庫あり